【324日目】儂、常滑市晩台にある『狐塚』に行ってみたら、神を祭る祭場でもあり製塩遺跡でもあった。


風がとても冷たいこの日。
前から気になっていた『狐塚』に行ってみた。
常滑市の大野城の北側の田園地帯の中にある『狐塚』。
ポケモンGOのスポットにもなっているけど、どんなところなんだろう。
日が沈む前に行ってみるか!徒歩でw

遠くに大野城が見える…
早くいかないとすぐ暗くなってしまう(;’∀’)
急いで小倉散歩道をテクテク。

『狐塚』に到着!
ぱっと見、何の敷地かわからないけど…

中央部分が盛られていて、周りを柵に囲われている『狐塚』。

他の田畑は雑草でぼうぼうだったりしてたけど、ここはそんなにぼうぼうではない(`・ω・´)
誰か手入れしているのかしら。

狐塚由緒記があったぞ!
なになに~(‘ω’)

狐塚由緒記

狐塚は、昔、田の神を祭る祭場として築かれたのです。
他の神は、冬は山に在り、春は田に降って秋の収穫が終わるまで稲作の守護に当たると信じられていました。
その田の神の使いが狐であり、狐塚には狐が棲んでいたといわれています。
この狐塚が造られたのは、この地に住んでいた人々が三狐神社を祭って産土神とした時とほぼ同時代の奈良時代か、それ以前と思われます。
三狐神社も農耕の神であり、狐塚と相対して造られたようです。三狐神社の神もまた狐を使いとしていたとの石碑もあります。

古代、小倉地区は、前山川、矢田川下流のデルタ地帯で、入江に囲われた中州のような地形であったと思われます。
海岸では、魚、貝、海藻の採取とともに製塩が行われていました。東方の平地では稲作も行われ、ます池は、条里制の遺構といわれます。
その稲作地区のいちばん西の端に狐塚が造られましたが、そこは、製塩を行う入江に接しており、塚は製塩で使った土器の破片や焼石のかけらなどの混じった土で造られました。
狐塚は、製塩遺跡でもあるのです。
やがて、矢田川に堤防が築かれ、狐塚の部分を残して干拓が進み、周囲は、次第に稲田と化していったと思われます。

矢田川の近くの田の中には、「大塚」と呼ぶ塚もありましたが、この塚は、矢田川の堤防決壊に備える土砂の蓄積場所であり、昭和五十五年着工の愛知県甫場整備事業の際にとりこわされましたが、狐塚はそのまま残されました。
狐塚のあるところは、「狐塚」の小文字で呼ばれてきましたが、昭和六十一年の町名変更の際「晩台」と改名された上、狐塚そのものも雑草に埋もれてまま放置されていました。
貴重な民俗文化財の煙滅をおそれた小倉地区の有志が相図し、狐塚周囲を整備し、「狐塚」の碑を建て、末永く史跡としての保存と期することになりました。

平成二年九月吉日
愛知用水土地改良区小倉管理?

石碑の内容はこんな感じ。
最後だけ解読できなかったけど、堪忍してつかぁさい。

狐塚由緒記に出てくる『三狐神社』は、昭和六年に改名され今では『小倉天神社』という名になっている。
祭神は『豊受大神』。
狐塚から西に約500m進んだ所にあるこの神社。
以前この小倉天神社の近くに住んでいて、よく夜中頭を冷やしにこの神社に来てたなぁ…w
その時はこの神社の事も狐塚の事も知らなかったから、十数年たって住んでいる地域の歴史を知るって…感慨深い(*’▽’)

『狐塚』という名前からもっと怖い感じなのかなと思っていたけど…←偏見MAX
有志のおかげで今での昔のままその姿を残せれているは素晴らしい( ;∀;)

常滑にはまだまだ尊い遺跡が残っているかもしれん!
ここの狐塚は大きな道路から少し入ったところにあって、地元の人しか知らないと思う。
ネットでも検索してみたけど、詳細は載っていなかったから今回投稿した狐塚由緒記の内容が参考になれば幸い。

故郷の高知の歴史をいま改めて勉強したいけど、物理的に難しいからのう…

また、ぶらりと散歩した時などに新たに発見したら調べて投稿する、かもw

ほんと、このBlog、気まぐれなんで…すみませんw

磨姫子

仮面 マスト パーティー ハロウィン コスプレ 小物 仮装 セクシー 可愛い 変装 イペント用品 コスチューム 舞踏会 目隠し お面 舞台 ダンス 和風 手作り 狐お面 送料無料

価格:1,750円
(2022/2/19 22:06時点)
感想(4件)

コメント

タイトルとURLをコピーしました